地方に家を建てる備忘録的なブログ

都市部出身者が地方で家を建てるということ

地方ルールの重要性

『日本国には法律があって、その法律を守れないと場合によって罰せられる』
ということは小学生でも知っています。
もちろん、皆さん遵守して生活されていますよね(笑)

ですが、地方都市はそうじゃありません。
もちろん日本国内ですから、日本の法律が適用されます。
でも、それだけではありません ってことです。
その集落独自のルール、不文律が存在するのだ。

具体例を列挙しながら説明したいと思う。

1)道普請

”公道を始め人々の利用頻度の高い道”は公共性があります。
だから、国や自治体は優先的に保守管理してくれます。

しかし地方都市や集落は、高確率で幹線道路から奥に入ったところにあります。
つまり私道や里道といった、”周辺住民が協力し、保守しなければ成立しない道”
というのがあるのです。

使用頻度が低いが公共性はある道の保守活動はその道をメインに使う人、
つまり周辺住民が行います。

まず、草との闘いです。
道沿いの雑草は容赦なく育っていきます。春先から梅雨前にかけて生き生きと育ってしまい、道路幅が狭くなり車のサイドボディが擦るほどです。何百メートルをみんなで草刈り&刈り草の廃棄活動を年に2-3回行います。もちろんシーズンは暑い日です。

そして自然災害。
時として、台風や豪雨が通過したら道路の壁面の土砂が崩れたり、側道の大木が倒れて道をふさぐこともあります。その時、集落のトラクターを持つ農家のお家が出動して土砂撤去。あるいは、チェンソーで倒木を細かく切って廃棄。そんなこんなも周辺住民の協力です。

2)水普請

都市部生活をしていた頃は、生活するのに何が必要だろうか??って考えたとき、
正直、”お金”としか思っていませんでした。
でも地方都市生活では絶対違うと思います。
それはそれで大事ですよ。でも、もっと根源的な話です。

そう、人間も生き物。
生き物である以上、水は不可欠です。
飲料水、風呂掃除洗濯、手洗い、便所、、、と基本的な日常生活では水がいるのです。

”そんなこんなもすべてお金があれば解決できるでしょ??”とか言ってる人は絶対地方生活には向かないと思います。そりゃ金に物言わせて業者に頼めばいいんだろうけど、
それもどこまで。。。

都市部のように公共浄水場があって、国や自治体が率先してバックアップしてくれて・・・っていうのは期待できません。

自分たちでボーリングしたりして地下水や湧き水を生活用水にしているところの方が多いです。
そりゃ、井戸掘るのに自治体が補助を多少は出してくれるかもしれませんが、
その後の管理保守はやはり地元住民です。

取水源の雑草刈り、ゴミ掃除、水源の1次タンクの内壁洗浄、ポンプ揚水後の2次タンクの内壁洗浄、配管掃除は誰が行いますか?? 年に2-3回 ⇒ もちろん地元住民です。

数年前、水源が枯れたことがありました。
もちろん、もうみんな大パニックです。
生活用水がなくなるわけですから。
だからこそ、みんなで協力が必要なわけです。


3)隣保班

この言葉、知ってる人います??
ご存じの方は地方都市経験者か勉強なさってる方だと思います。
そして、このエリアが大分県 というのもこれでわかるでしょう。

隣保班というのは、いわゆる「隣組」のこと。
自治会のさらに細かい組み分け、、といったイメージだろうか。
ググってみたら、”戦時体制下で国民を総動員するためにつくられた末端組織” 
近衛文麿時代にそう呼んでいたという。
良し悪しは別にして、こういう活動が今も習慣として残っているエリアなのだ。
そんなこんなを知らずして、どうやって地方都市生活が成立するんだよ!?
やはり郷に入っては郷に従う柔軟さは必要です。
もちろん、耐えきれないならそこに住まなきゃいいんだけど。

4)民俗的な習慣

節句や季節ごとの祝いなどで地方ごとにルールが違う。
地方といっても、隣村で考え方が違うこともある。
これは細かく書けば書くほど一つの学術ジャンルになるだろう。
ここで言いたいのは、連綿と続いてきた当地での生活文化で形作られた道徳つまり、”その土地の地方ルールというものがある”ということ。

それが時代に沿う場合、その地区は快適に発展するか、人々は楽しいだろう。
そうでない場合は、息苦しく不自由になるし、さらに老害が若者の活動や発展を阻害・制限したりするきっかけにもなっている。今は後者の方が強いだろう。


【ところで家を建てる話と地方ルールの関係は??】

話はもどって、家を建てるにあたっても地方ルールの遵守の重要性がある。

まず取水と排水問題。

どこから生活用水を引き込み、どこへ排水するのか という問題。

取水ができたのに排水先の集落の自治会が納得いかない場合、排水できなかったりすることもある。
”(誰の権利物でもない)河川に流すんだから問題ない” 
というのが一般的な日本国内の憲法で守られた法律であるが
それだけというわけにもいかない。
やはり、そこで揉めたら上述したような活動に支障をきたすのだ。

私も、周囲から伝え聞く住民同士のトラブルを思うに、
もっと今風に論理的に、割り切って考えてくれたら、、、と思うことは多いが
それが集落を発展から妨げたのかもしれないが、ある意味、守ってきたのかもしれない という印象もないわけではない。

非常に悩ましく、むつかしいことだが、これが都市と地方の認識の違いだと思う。
また機会ごとに細かく詳細に触れてみたい。

ただ、
自治会なんか入らなくていいよ” なんて言う先行移住者や不動産屋がいたら、
彼らは、長く住んだことがない・住む気がない、あるいは分かってない人々だと思う。
本当に地方に住んで楽しく生きて、長く定住するなら、そういう短絡・刹那的というか、場当たり・使い捨て的というか、そういう安易で浅薄な考え方はしない方がいいと思う。

そういう移住者が増えれば増えるほど、地方の地元住民は身構えてしまう。
”どうせまた、根を下ろすこともなく、集落をかき乱して住めなくなったらあっさり出ていくんだろうに。。。”と口には出さないがお考えの人が多いのだ。
そしてそれは、後進の移住活動者の難易度を上げることになり、
彼らに迷惑をかけていることにもなるのだ。

日本国民は、大抵常識範囲内なら、どこに移動し住んでも構わないことになっている。しかし、行き先には暗黙のお約束やルールがあることもわかっておくべきではなかろうか。